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数学史研究
墓発見について


二尊院

吉田光由WEB資料館

吉田光由 墓碑発見に至る経緯


江戸初期の和算家吉田光由(1598〜1672年)を調べているグループ「京都吉田光由悠久会」が、京都市右京区の二尊院で、光由のものと考えられる墓を発見した。これまで、大分県の墓の存在は知られたが、生地・嵯峨地域での発見は、京で最期を迎えたことを裏付た。

 光由は、豪商・角倉家の一族として嵯峨地域で生まれた。毛利重能の私塾で和算を習うと才覚を開花させ、1627(寛永4)年、初の本格的な数学の教科書「塵劫記(じんこうき)」を刊行したことで知られる。

 光由はその後、熊本藩の細川家に仕え、大分県豊後高田市には光由の名や「顕機圓哲居士(けんぎえんてつこじ)」との戒名が入った位牌(いはい)と、何も刻まれていない墓石が残る。光由の子が記した文献には京で没したとあるが、大分の墓の存在もあってはっきりとしなかった。

 京都では約40年前に珠算団体などが墓を探したが、見つからなかった。そろばん関連通販会社を営む悠久会の久下五十鈴が 、5年ほど前に独自に調べ初め、2010年に角倉家の菩提(ぼだい)寺である二尊院で、大分の墓と良く似て上部が三角形の墓を見つけた。

 その後、悠久会は半年を費やして墓石表面の解読を進め、光由を示す「算学」「算道」の文字を確認した。過去帳にも戒名があり、光由の墓と断定しました。

  
            

塵劫記 石碑(嵯峨野・常寂光寺境内)

光由 墓碑(嵯峨野・二尊院)
2012年に発見されました
 


詳しくは、  数学史研究  墓発見について を御覧ください


 

 

墓発見記念キーホルダー(2012/11/18)
 

七兵衛光庵バッジ
吉田光由記念バッジ
嵯峨野・二尊院で販売しておりますご参拝のおりにお買い求めください。(500円)