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吉田光由WEB資料館 |
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「塵劫記(じんこうき)」編纂
吉田光由(1598−1672)の「塵劫記」は、日本人の数学力を飛躍的に高めるきっかけとなった、数学の初等
教科書です。
寛永4年(1627)の初版から、たいへんな人気を博し、すぐに海賊版が多数出版されました。それに対抗
するためもあって、著者の光由自身が何度か改訂版を出しています。
「塵劫記」には、九九・そろばん等の基本事項や、米の売買・利息計算・土地の面積計算など生活に即した
様々な実用的問題に加えて、「継子立て」「ねずみ算」などの数学パズル的な問題も多く収録され、人気を呼
びました。
光由が手を加えなくなった後も、「○○塵劫記」「塵劫記○○」といった類似書が江戸時代から明治時代に
かけて300種以上も出版され、「ぢんこふき(塵劫記)」が数学そのものを意味するようになるほど、人々に親
しまれました。
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塵劫記 石碑(嵯峨野・常寂光寺境内)
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ネズミ算
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そろばん教書
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江戸時代に「日本」が世界に関たる算術国家だったのは「そろばん」と「塵劫記」のおかげだと云われる位有名な算数の教科書です。当時世界最高のレベルを誇った庶民の算数の力(和算)に貢献した教科書です。
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「菖蒲谷池と菖蒲谷隧道(角倉隧道)」の建設
寛永年間(1624〜44)に角倉了以と大覚寺法親王の遺志を継いで了以甥の吉田光長・光由が人工池を造り隧道で北嵯峨一帯の田畑を潤して水飢饉に苦しむ北嵯峨の農民たちを救った。今なお水を送り続けています。
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菖蒲谷池 北側に堰堤が建設されています。
400年前のダム。光由の測量技術のたまものです。
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菖蒲谷隧道(角倉隧道)
菖蒲谷池→細谷川 素掘トンネル
長さ約200m 寛永年間(1624-44)
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内部 |

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菖蒲谷池碑 
吉田光由の業績を顕彰する菖蒲谷池碑が現在、北嵯峨公会堂前に建てられている。明治28年、当時の京都府知事
北垣国道隧道の銘により建碑されたもので、菖蒲谷隧道の由来と感謝が刻まれている。また琵琶湖疎水の開通にあたり、北垣知事は、京都府技師
田辺朔朗を伴ってこの地を訪れたことが記録に残されている。
菖蒲谷隧道によって送られた農業用水の残り水は大覚寺・大沢の池にも送られており、光由の利水工事は、現在では京都の景観保全にも一役かっているといえる。 |
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